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第2回:SATORIZM

講師はSATORIZM。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

WHATSMAN@NNN。
イエー。調子は?

今日はタイトル通り、
「世の中の歩き方~DEFなLECTURE~」
二回目の講義だ。

※一回目の講義は、
MR.NNNことAUが書いているので、
当HP左下にあるコーナーで確認を。

今回の講師は、SATORIZM(@78)。
NNN初の外注。非常勤講師。
SRのHPはうちのオススメ日記から、読めるんでぜひ。
SARORIZMのホームページ

俺なりに一応簡単に、説明しとくと、
SRは元祖NATURAL9のメンバー。
また、伝説の漫才コンビ「PBK」
の突っ込み担当。
ちなみにボケ担当は、天才肌の俺。
※PBKでは、もう10年も前の話だが
「お笑い昇竜拳」
という地方テレビの素人お笑いコーナーで、
奇跡の5週勝ち抜き。
グランドチャンピオンになっている。
これはひとえに俺の才能といっていいが。
まあ、SRのつっこみ技術は、
大阪より西ではTOPクラスだろう。

現在は78 AKA 質屋を経営。
質屋と言っても、規模がクソでかいので、
その辺の個人商店のイメージではない。
まあ、ヤルタイプの奴だ。

兎にも角にも(@YURA)
この講義は3日間にわたる。
以下HARDCHECK@ルー。


(以下SATORIZM)

SR 非常勤講師 from 78
出張「デフなレクチャー@NNN」
世の中の歩き方
非常勤講師を依頼されたので一筆。

で、俺なりに30年間の歩みを振り返ってみた。
参考になるかどーかは解らんけど
興味があれば最後までお付き合いを。

まずは軽く自己紹介。

*********************
【Satorism】
昭和49年生まれ、今年で三十路。
A型 さそり座
小中高は下関。
大学は福岡のS南学院大学。
卒業後倒産した山*證券新宿支店に1年勤務。
倒産後実家の家業を継ぐべくモセキへカムバック。
現在に至る。
ちなみに浪人、留年経験はなし。

*********************

現在は実家の78を経営している。
従業員数は12名。
男6名 女6名だ。

俺が一番大事にしているのは
「バランス感覚」だ。

おっさん連中ばっかりの会議。
マイメンとの現場。
スナックでの現場。
競技ゴルフ。
組合の役員会。
銀行との折衝。
通常営業。
偉い人たちとの会食。

これらの俺の日常にある全てが
基本的に同列にある。
なんの違和感もなく全てが
一瞬にして切り替えられる。

こんな俺の生き方のベースの部分は
小学校のときに出来上がっている。
高校のときのマイメン達との出会い
が一番周りの印象的には強いようだが
俺自身は小学校の時が今の人格形成において
もっとも強かったと言い切れる。

やっぱり人は子供の頃の環境とか、
親とかでかなりの割合で人間性が
形成されると思う。

親の占める割合はかなりでかい。

やっぱ現実問題として中卒よりも
高卒、高卒よりも大卒ってのが
今の日本では評価される。

勿論最終学歴がなんだろうと
勝ちあがっていく人間はいるだろうし、
大学行ってないとダメだなんてこたぁ
まったくないんだが、それが今の日本。

俺自身大学まで出てみて思うことは
「外に出ると視野が広くなる」
可能性が高いってこと。
数学が英語がって勉強が出来る
出来ないはあんまり意味がなくて、
色んな人間に出会って、
色んな価値観に触れて
そんで視野が広くなる。

少なくとも勉強しないとそれは経験できない。

ただ、この進学ってのも
結構早い段階で決まってくる。
13、14歳くらいで
「マジでやりたいこと」
なんて見つかるわけもなく、
周りの環境に流されてしまうってのは
当たり前のこと。
だからいかに親の存在ってのが
子供にとったらでかかったかってのは
今になって思う。

俺の場合、あくまで無意識の意識だが、
勉強して大学まで行くことに
なんの疑いも矛盾も感じていなかった。
小学校、中学校、高校と
勉強をすることを結構
「当たり前」のものとして思ってきた。

勿論普通に遊ぶ。
高校の時は夜中まで遊んでも
帰ってきっちりテスト勉強はする。
それを念頭において遊ぶ。
計算高く、友達に隠れて勉強する
なんて意識は全然ない。
それが普通だと思っていた。

それが俺の「バランス感覚」

だから中学校のテストのときなんかは
意地で徹夜をしてテスト範囲丸ごと
暗記してテストに臨む。

それまでどんだけ遊んでたとしても
テスト前はきっちり帳尻をあわす。
それは小学校低学年の時期に
身に付けたスキルだ。

かといって
「お前勉強した??」
って聞かれて
「いや、全然してない」
って答えるよくいる秀才なわけでもない。
まじめな連中、部活の友達、
不良達、、、、どの層にも入ってきたし、
今でもそれは変わっていない。

俺にとって勉強ってのは「効率」
いかに効率よくこなすか。
ただやりゃあいいって問題じゃない。
これは今でも同じ。
仕事ももちろん「効率」
それと1を見て10知るスキル、
これも必要。
これは後ほど。

なんで俺が「勉強すること」が
当たり前のことになったか。

うちの実家は自営業だ。
しかも年中無休。
2つ離れた弟がいる。
うちの両親は爺ちゃんから
鬼のように反対されて
結婚しているため、
3年間の駆け落ち生活を経て、
実家に帰ってきた。

今の家に帰ったときは2歳。
弟は実家で生まれたためかなり
家の中で重宝されていた。
(体が弱いせいもあったが)。

母親と俺は家の中ではかなり
肩身の狭い思いをしながら生活を
していた記憶がある。
スゲー迫害される母親を
目の当たりにして育った。
お袋の入る風呂は水深30cmくらいの
かなりのぬるいお湯だった。
それは風呂が一番最後だから。
「腰湯かよっ!!」
ってつっこみたくなるくらいの
風呂だった。

よく爺ちゃんが市場で黄な粉モチを
買ってきていた。
俺の分は数に入っていない。
そんな時は母親が
「なんでさ*るの分はないんですか??」
と毎回意地で言ってくれていた記憶がある。

まぁ、明治生まれの人の頑固さは
そんなもんだと思うし、
男尊女卑なんてのはその時代
ごく当たり前だと思う。

しかも商売家だから、
考えられん位の古い習慣もたくさんあった。
今から考えれば
完全に「おしん」のレベルだった。

お陰でうちのお袋は
町内以外には一人で外出できない
スキルを持っている。
勿論電車などは論外。
結婚して30年近く、
年中無休、
外出は近くのスーパーのみ、
朝6時から夜10時まで休憩なし、
姑からのいじめ、
を経験している。

余談だが、
そんな母親を見て育っているので
結婚して別居なのに
「マジで姑がうざい」
なんて言っている今風のギャル達
を見ると寒気がする。
きっと俺も古いタイプに間違いない。
嫁さんってのは我慢して
我慢して自分のポジションを
つかんでいくもんだって
思っている。
今の時代通用するわけがない。
だから俺はバツイチだ。

話を戻そう。
色んなことはあったが、
俺自身幼年期のトラウマ
なんかも全然ない。
ただ、人の顔色を見ながら生活を
していたのは間違いない。
これは長男ってことが関係している
のかもしれんけど、、、、

またまた余談だが、年中無休なんで、
家族旅行、家族団らんってのはあんまり
記憶にない。
小学校のときの絵日記に
書くものがないので、
テレビで見た所に
「行った振り」をして書いていた。
この頃に「虚言」スキルを習得し、
中学校の頃には免許皆伝されている。
神童としか言いようがない。

本題。
迫害される母親にとっては
俺だけが唯一の希望の光だったらしく
小学校2年から5年くらいまでは
かなりのスパルタ教育だった。
大袈裟でもなんでもなく、
夏休みなんかは一歩も外に出して
もらえなかった。
「勉強しなさい。勉強して偉くなって
この家を出て行きなさい。自由になりなさい」
が口癖。

マジでぶん殴られながら勉強
させられていた。
笛が吹けなくて竹刀で
ぼこぼこにされたこともあった。

親父はと言うと仕事の鬼。
年中無休で働く。
会話もほとんどない。
まぁ俺は親子って「そんなもんだ」と
思っていたので寂しいなんて思った
ことはなかった。
実際今でも仕事の話以外は
ほとんど会話がないが、
他の親子で異常に仲のいいのを
見るとマジで鳥肌が立つ。
特に父親と息子が恋愛話
とかをしていると
「なんの茶番かっ!それは!」
と思う。

とにかく勉強した。
100点を取らないと殴られる。
勿論100点を取っても褒められない。
100点が「当たり前」
とにかく勉強勉強の毎日。
友達が遊びに来ても
「さ*るは今おらんよ」
って言われよった。
おかしなことなんだが、
それが苦痛になったことがなかった。

どーやったら100点取れるか、
どーやったら全部暗記出来るか、
そんなことを常に考えていた。

「勉強せんと自由がない」

こー思いながら勉強していた。

ただ、それだけだと「もて」ない。
バレンタインデーにいかに多くの
チョコレートを貰うか。
転校生にいかに優しくして
女子の評価を得るか。
いまの「プロ意識」もこの頃に
芽生えている。
実際、中学1年位には
軽い「口説き」程度のスキルは
身に着けていた。

その為には面白いことを
言って笑わせたい。
クラスの中心でおりたい。
でもガキ大将タイプではないので、
「頭が良くて」
「面白くて」
「スポーツが少し出来る」
これしかない。
結構「リアル」にそんなことを
考えていた。

そして小学校6年に
今の俺の考え方を
決定付ける出来事があった。
文化祭かなんかのクラス発表。
当時成績が上の方で、
前に出たがりやの俺が司会。
たまたま家族がそれを見にきていた。
(*実際は同じ小学校に通う
弟の出し物を見るために。)

そこで司会をしている俺を見て、

爺ちゃんが

「あいつは、なかなかやるのぉ。
あいつはすごい子になるぞ」

キマッタ。
ダブルピースで決まった。

この日から黄な粉モチも俺の分まで
買ってきてくれるようになって、
小遣いも弟と同額になった。
(それまでは貰えなかった)

なんといっても母親の誇らしげな
顔がマジで気分が良かった。

その時に「あっ!これか」って思った。
「勉強して、兎に角人の前に出て目立つこと」
これで間違いない。
それと同時に司会をしながら
人前で話すことになんともいえない
快感を覚えていた。
その後漫才を始めたのも
自然な成り行きだろう。

小学生なので今みたいに
はっきりとは思っていないが
こんな感じのことを確信した。
勉強することで先生達の評価を
受け、面白いことを言うことで
人も寄ってくる。
しかもどの層にも入れるので
「見える物」の範囲が多い。

もちろん無意識の意識だが
この子供のときの感覚は
マジででかかったと思う。

中学校3年のときに
応援団長をして
ちょっとだけ悪くなった。
悪いことを覚えた。
付き合っていたヤンキー少女
との駆け落ちも経験したし、
(ちなみにそのころ見た
トムクルーズのカクテルに
憧れて「俺はバーテンになる!」
って言って博多にいくものの
すぐに補導され強制送還。)

仲間と一緒によだれをたらしたり、
家出をしたりを繰り返していた。
それが楽しかった。
「こんな世界もあるんかぁ」
って思いよった。

これも、スパルタ教育の
反動なんて言っていたが、
本当はそーじゃなかった。
正直自分の帰るべき道も
わかっていたし、
ただ面白かっただけで、
どっぷりつかってはいない。

事実そのときの仲間で
高校を卒業したのは俺だけだ。
悪さをしながらも勉強はしていたし、
それが当たり前だと思っていたから。

長々となったがこれが俺のベース。
つまりは

「常に現実は傍らに置いておく」

これが俺の処世術、俺の基本。

高校の時の話も長くなるので
割愛させていただくが、
兎に角目立って、
自分がその中の中心であること
が俺にとって一番大事な
ことだったんで、
勉強もきっちりこなし、
遊びも高校のときに覚えた。

それから大学入学。
ここで感じた「違和感」が
少年時代に作ってきた「人格」
に絶妙のスパイスを与えてくれる。
大学では地元のマイメンaka相方W
とほとんどを過ごす事になるんだが、
Wは浪人してたんで1年は俺一人。

まったく新しい環境に一人。
普通にサークルに入った。
サークルの先輩達が、
なんだかんだで集まって
やっていることになんか
「違和感」を感じる。
意地で馴染もうとするんだが
「違和感」消えない。
なんか意地でみんなが
「合わせている」感じに見える。
かなり「えぐい」状態だった。
その頃はとにかく「逃げた」
学食で飯を食うにも「えぐい」
ので近くの公園に「逃げた」
この「馴染めない」って感覚
は今まで持ったことがなくて、
かなり新鮮な感覚だった。

そのころ俺はまだ
「見抜いてニヤリ」スキルを
今ほどは身に着けてはいなので
この「違和感」対処方法がない。

1年後Wが入学。
同じサークルに入ってから
「違和感」がなくなる。
「エグイ」現場を「ギャグ」にする。
にやっとするためにより
「えぐい」環境を作り出す。

例えば、
駅前でローカルTVが取材を
していたとする。
このテレビカメラの前で
ピースしながら携帯で友達に
電話をする奴。

この感性はマジで
「勘弁して欲しい」

例えばその頃サークルに誰かと
そんなテレビカメラの前を
通ったとしよう。
俺は間違いなくこー言うだろう。

「○○さん、テレビいますよ、。
写って電話するしかないでしょ!」

そいつが乗ってきたら
「にやり」してすぐにWに
「ちくる」

これが出来るよーになってから
マジでどんな局面でもこなせる
よーになった。

最初に書いたよーな
色んな場面で普通におれるのは
「多重人格」ってわけじゃなく、
このスキルによるものが大きい。

「にやり」を引き出すための「茶番」
出来ればこれは身に付けたほうがいい。

しかしサークルの
「新入生歓迎バス旅行」
みたいなのはマジでえぐかった。
「一番かっこいいと思う人は」
「一番おしゃれだと思う人は」
とかのアンケートみたいなのには
マジで「びびった」
何よりマジで「楽しそう」に
しているのに「びびった」
各個人ってゆーよりは
その「薄い団体意識」は正直
今でも「ありえん」
ただ、そっから人と人の繋がり
ができて、ナチュラル9が結成され、
感性のより近い人間が集まっていく。
これは大事なことだろう。
天邪鬼だがそこは否定しない。

俺の場合は色んな所に
身を置いてみたい
「つまみぐい」スキルが強過ぎて
今までなにか1つの物に
「没頭する」ことが出来なかった。
だからNNNとなって続いていた
ことには正直驚いた。
これは俺の欠点でもある。
ただ、1つのことに没頭して
なんらかの「職人」になることを
望んでなかったので、
今まではよかったが、
今となってはそれが
「なんとなく薄い人生」
に思えてならない。
やっぱアルケミスターになる
為にはスプーンの油をこぼさずに
周りの景色が見れるスキルを
身に付けることが次の課題だろう。
まぁ、俺の場合は今は仕事に
没頭することを目指しているが。

この「見抜いてニヤリ」スキルを
大学生活で身に付けたので
あとはスムーズに30まで来ている。
就職した1年間が教えてくれたことは、

「全国から集まった高学歴者」

達と出会えたこと。
見抜いて見ると正直
「負ける気」がしなかった。
これはマジででかかった。
東*、早稲*、慶*ってのは
ただ俺より「勉強」が出来た
ってだけで、そんなに生きていく
上で「でかい」ことではない。
この感覚を実際に見ることなしに
「大学でたって別に一緒やろ??」
って言うよりは、
実際その中に入って体感できた
ことが一番の収穫だった。
実際に体感しないと、
小さい劣等感が残ったままに
なってしまう可能性がある。
それと同時に、
やっぱ「学歴社会」だってのも
色々「体感」出来た。
その中での勝ち上がり方も
経験して初めて見えてくる。

それと「金」の恐ろしさ。
これも「体感」した。
うちに証券会社は倒産したので
これがかなりリアルに体感できた。
先週までお茶を飲ませてくれていた
優しい主婦が、
倒産翌日には鬼の形相になり、
土下座を迫られる。
ベテランリーマン達は
今までのがつがつした営業の結果、
奥に逃げて、俺ら新入社員が
矢面に立って土下座。
お陰でテレビには出れたらしいが、
支店長以下えばっていた営業マン
がみんな逃げたのはマジで圧巻だった。
この倒産処理の3ヶ月間は
マジでいい経験になった。

人は「金」で狂う。
「金」がないと心が荒む。
そして、土壇場で「逃げた」上司達。
いいもん見せてもらった。

まぁこんな感じで24歳。
倒産後実家の78に帰る。
こっから「自営業編」
商売で培った俺なりの感覚を
紹介しよう。

エンドレスに続きそうなレクチャー。
俺なりのエッセンスを感じてもらえれば幸い。

今までさんざん書いてきたが、
結局は「バランス感覚」が
俺にとっては一番大事だってこと。
仕事でもこれは一緒。
あと仕事は「1見て10知るスキル」
が必要不可欠。

例えばうちの78。
接客から商品を倉庫に直すまでの
流れは、

商品を受け取る
→査定する(aka目利き)
→契約書を書く
→お金を渡す
→商品を包む
→倉庫に直す
→パソコン入力

ってのが一般的な流れ。
新入社員にはまずは
この過程を教える。

ここで求められるものは何か?
俺が査定をして、
お客さんが納得をする。
この時点で倉庫まで直すことは
決定するわけだ。
つまり、査定終了時点で
包み始め、倉庫に直す作業に
入ればいい。

俺が査定をして、
契約書を書いて、
仕事は
「包んだ物を倉庫に直すだけ。」

はっきり言ってバイトで十分。

ってゆーか、
それなら俺が「直す」までする。

例えが上手くないかもしれないが、
俺は仕事ってものにはそれを
求めるし、俺もそーする。

次の1手、2手先くらいまで
呼んで行動をするのが
俺にとっての「仕事」

頼まれたことをこなすだけは
「バイト」でいいって思う。

例えば何かの資料を
作っておくように頼むとする。
俺はこの時点で
「それが何枚必要なのか」
「いつ発送するのか」
「発送の準備は整っているのか」
などの段取りを含めて求める。
頼む俺自身その「シナリオ」を
描いた上で頼む。

今まではこれを暗黙の了解として
求めていたが、
それでは人は育たないってのが
やっと解ったんで、
今は頼む前に説明をするようにしている。

「仕事」とはそんなものだ
と思っている。
全ては「段取り」
これが上手く出来ない奴に
仕事が出来る奴はいない。

最近になって、
正直「人を育てる」ことと、
「仕事が出来る」ってことは
全然違うってことに気が付いた。
俺にはまだ「人を育てる」スキルがない。

俺が言いたいのは決して
「スピード」の問題ではなく、
仕事に起承転結をつけて、
結びまでしてこそ始めて
「仕事」として成立するってこと。
スピードは個人差があるし、
方法論もそれぞれ別々。
だから自分のペースで
やればいいんだが、
何か一つ、目の前にある仕事を
しようとする時に、
最初から最後までの段取りを
立てるスキルは絶対に必要だと思う。

仕事における俺のスタンスは

「今日する仕事を今日することは当たり前。
明日する仕事を今日することが大事」

って感じ。
勿論体調、モチベーション
などでいつもいつもそーはいかないが、
これは念頭において仕事をしているつもりだ。

あとはそれぞれは自分の環境に
あった方法で仕事をしていけば
いいと思う。

色んな営業マンが営業に来るが、
なかなか出来てる奴はいない。
「やっつけ仕事」的な仕事の
こなし方ばかりが目に付く。

まぁあんま偉そうに言えるほど
仕事が出来るわけでもないけどね。

さて、それが出来た上で、
次は「対社会」

ここはかなりシビア。
マジでシビアだ。

俺が実家に帰って2年目くらいに
社長が倒れた。
2ヶ月くらいの入院。
病名は「癌」

さて、大変だ。
膨大な借金を抱えて商売を
しているうちの78にとっては死活問題。

急に返せったって返せない。
うちと銀行の関係は比較的良好で、
支店長もほぼ毎日遊びに来ていた。
資金需要があればすぐに貸してくれてたし、
俺も少し安心していた。

が、しかし。
入院当日から営業マンも含め
誰もうちに一切来ない。
勿論電話もない。

完全な「見」の状態。
しかもいきなりの
「返済の期日が迫ってますので、
返済お願いします」の電話。

今までは借り換え借り換えで
いっていたのに、
「今回は現金を用意してください」
と言ってきた。

証券会社時代にも思ったが、
世の中ってのそんなもんだ。
すぐに手のひらを返す。
だから本当に「実力」を身に付け
ないと足元すくわれるなって思った。
まぁ今から考えれば、
それが銀行として当たり前の
対処法だとは思うが。

そんな中で勝ち上がって行くためには
結局は努力が必要だろうね。

1から10には行けないので
1個1個階段を上っていくしかない。
当たり前のように見えて
これがなかなか出来ない。
地味な作業の継続の中に
「勝ち上がり方」がある。

俺もあんまり努力派ではないので、
今はそれが一番の課題。

発想→行動→継続

この繰り返しの作業が
いつか形となって現れる。

なんかいつかどっかで聞いた話だが、
結局30になってやっとその意味
がぼんやりとわかりだしてきた。

「継続は力なり」

方法論、表現方法、夢、
現実、挫折、千差万別だが
最後は継続出来たものが何かを得る
権利があって、
その権利の大きさは努力で決まる。

おっさんくさいが、
仕事を通じて生き方を考えたときに
最後はいつもここにたどり着く。

しかし、
俺もまだぜんぜん出来ていない。
だが、俺も今がそのチャンス。
毎日同じことの繰り返しを
兎に角繰り返している。

構想の段階では金儲けとかの
ことを色々書こうと
思っていたんだが、
書いているうちにこれが
一番伝えたいことなんで、
これでまとめようと思う。

「明日からする」とか
「不景気だから」とか
「学歴がないから」とか
「次はちゃんとする」とか
「人と同じはいや」とか
「俺には夢がある」とか
「いつか返す」とか
「時代が」とか
「上司が、、、」とか
「今さえよければ」とか
「どうせ死んだら同じ」とか
「店を持ちたい」とか
「人に使われるのはいやだ」とか

言っている前に、
目の前にある仕事をしっかりとして、
それを兎に角継続する。
地味な作業の繰り返しを
兎に角繰り返す。

それから手を付けるべきだ。
出来ない言い訳を並べる
わけでもなく、
ひたすら現実逃避することもしないで、
まずは出来ることを継続する。
出来ることからやっていく。

悪いが夢の話は1回だ(@BOSS)
SR from 下関No.1「78」
ピース。




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